豊岡演劇祭観劇日記 DAY2 9月20日(日)

▼マームとジプシー『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』

2013年初演のマームとジプシーのレパートリー作品。中学卒業を間近に控えた春、アヤは突如として家を出て森でキャンプ暮らしをはじめる。アヤの家出と森での暮らしを手伝うシンタロウ。家に帰らないアヤを心配し探そうとするアユミ、ハサタニ、サトコ。彼女たちを少し離れたところから見るジツコ。リフレインと呼ばれる手法で場面を繰り返し時間を行き来するなかで、それぞれが抱える事情や想いが浮かび上がっていく。
アヤがキャンプをしている場所のすぐ近くでは最近、女の子の死体が発見される事件があった。アヤはその事件に大きな衝撃を受けると同時に、そんな事件が身近で起きてなお、簡単に日常に戻れてしまう同級生たちにもショックを受ける。彼女が家を出てキャンプ暮らしをはじめたのはひとりになりたかったからなのだが、アユミたちは彼女を見つけてしまいひとりの時間はなかなか訪れない。同級生たちにとっては見知らぬ女の子の死よりもアヤの家出の方が重要なのだ。だがその事実はおそらくさらにアヤを傷つけるだろう。
一人の人間の死が大した関心を集めないことがあるという残酷な事実。アメリカ同時多発テロ事件や東日本大震災を思わせる言葉は、観客のひとりひとりにそれらの出来事と自らとの、個人的な距離を意識させる。
アユミたちはアヤのテントを訪れ、しかしアヤと会ったのはそれが最後になる。その後、何が起きたのか、より身近な喪失に対してアユミたちがどのように反応したのかは描かれていない。
リフレインの中で過去が少しずつ像を結び、しかし同時にそれぞれの抱える想いがバラバラに解けてもいくような展開が鮮やか。だが、感情を揺さぶる音楽の多用が、バラバラであるはずの想いを一色に塗りつぶしてしまっているようにも思えた。

▼変わりゆく線『四つのバラード』『diss__olv_e』

ダンスのダブルビル公演。
『四つのバラード』はロイ・アサッフ振付、木田真理子・児玉北斗の出演による男女デュオ。去っていく相手を引き留めようとするような動きを繰り返す冒頭部分の印象から、全体が別れ際の男女の回想のようにも見える。コミカル/エロティック/シリアスと表情を変えていく二人の関係が見どころか。ほぼ素舞台だったのだが、張り紙やベニヤ板が目立つ奥の壁面は隠した方がよかったのでは……。
『diss__olv_e』はOrganWorks平原慎太郎振付、平原含めたカンパニーメンバー出演による群舞。タイトル通り「物事の形状が溶解し溶け合う様子を描いて」いるとのこと。無数に置かれた真っ赤な風船の中央で蠢く帽子の女を風船を持った舞台の端から男が見つめている謎めいた冒頭から、2つの風船が舞台上空に浮かび上がるとともに男が去っていくエンディングまでバシッと決まった画の連続。決して物語があるわけではないのだが無声映画を見ているような印象もある。ユニゾンとそこからのバリエーション(出演者の個性/振り付けられた差異)が気持ちいい。
私がダンスは門外漢だからということもあり、作品の周辺情報が主催者側からはほとんど提示されていないことが気になった。「変わりゆく線」と公演名が付されているが、この2組のダブルビルになった理由もよくわからない。当日パンフレットには名前と短いコメント以外の情報はない。演劇であれば物語(言葉)という取っかかりがあるのでまだいいのだが、コンテンポラリーダンスでなんだかよくわからなかったというときに周辺情報もないのでは取りつく島がない。いや、ダンスの方が直感的に理解できるという意見もあり、それに首肯できる部分もあるのだが、重要なのは作品が自分に合わない、理解ができないと思ったときにその思いを和らげ、あわよくば逆に興味を持たせるための手段が用意されていることではないだろうか。普段は観ないようなアーティストや作品を観る機会も多い演劇祭という場だからこそより一層、知りたいと思ったときに手軽にリーチできる情報は用意しておいてしかるべきと思う。

▼五反田団『いきしたい』

ネタバレしているので東京公演をご覧になる方はご注意を。

引っ越しの準備をする男女。どうやら同居していたふたりは別れることになっているようだ。それぞれの持ち物を分けている作業をしていると、女が物置から男の死体を引きずってきて——。
『いきしたい』とは「遺棄したい」であり「生き死体」でもある。なんせ死体は動いてしゃべる。「息したい」でもあるかもしれない。実は死体は女の前の夫であり、男は夫の死後に付き合いだした恋人だった、という設定が少しずつ明らかになっていくのが巧妙。死体が夫、ということはこの男は誰?という具合に、情報が明かされるたびに明らかであったはずの登場人物のアイデンティティが揺らぎ、観客は自らの思い込みを突き崩される。死体が死んでいるのか生きているのか(?)の水掛け論に観客がゲラゲラと笑っているうちに不条理コメディは哲学的ホラーへと転調。死んで・いる者と生きて・いない者に違いはあるのか。人がいなくなるとはどういうことなのか。いない人は生きているといえるのか。これだけの振り幅でも観客を掴んで離さない前田司郎はやはり天才である。

豊岡演劇祭2020

開催期間:2020年9月9日 - 9月22日
公演プログラムやフリンジについては下記ホームページをご覧ください
https://toyooka-theaterfestival.jp/

Written by
山﨑 健太
山﨑 健太
@yamakenta