【イベントレポート】ゲッコーパレード 演劇映像『ファウスト』上映会トーク

新型コロナウイルス感染拡大の影響でオンライン開催となった「山形ビエンナーレ2020」で演劇映像『ファウスト』を発表したゲッコーパレード。PASSKET MAGAZINEでは作品発表に先がけてゲッコーパレードのメンバーにインタビューを行なった。「演劇映像」という試みはどのような形に結実したのか。「山形ビエンナーレ2020」の会期中にゲッコーパレードの活動拠点である埼玉県蕨市にあるAntenna Books & Cafe ココシバで行なわれた演劇映像『ファウスト』上映会から、ゲッコーパレードの演出家である黒田瑞仁と批評家・山﨑健太によるプレトークの様子をお届けする。

演劇映像『ファウスト』上映会プレトーク
演劇映像『ファウスト』上映会プレトーク Antenna Books & Cafe ココシバにて

フィクションと場所の対置

黒田  コロナ禍の作品としてこの『ファウスト』をどう見ていただけましたか。

山﨑  コロナ禍で劇場が使えない、人が集まることができない状況でも、演劇の作り手は様々なかたちで作品を発表してきました。観客としては面白ければ何でもいいので、そうやって作られたものが演劇かどうか、みたいな議論にはあまり興味がない。でも、演劇の作り手が映像を作るときには何が演劇か、映像になると何が違うのかということを考えながら作ることになる。そうすると、その作り手が演劇の何を大事にしてるのかみたいなことが結構はっきり見えたりする。それは面白いと思っています。作品の完成度としては物足りなくても、取り組んでいることは面白いということもよくある。「人が集まらない」という条件で何ができるのかという意味で今回のコロナ禍で発表された作品には興味深く見たものが多かったです。まずはそういう試みの一つとして『ファウスト』も見ました。そのうえで今回の『ファウスト』を観てまず思ったのは、いかにもゲッコーパレードらしい作品だなということでした。

黒田  ありがとうございます。もちろん自分たちが大事にするところを大事にしましたが、どういうところがゲッコーパレード的でしたか。もしかして僕が思ってるのと全然違うかもしれない。

山﨑  個人的な印象としては第一幕が予告編、第二幕がダイジェスト版、第三幕が番外編というか翻案みたいな。各幕で『ファウスト』の扱いも山形という場所の扱いも違う。でも、場所がフィクションの舞台として利用されているというよりはフィクションと対置されるものとしてあるという点では一貫していると思ったんです。特に第二幕では、背景に山形の風景があって、手前で俳優が『ファウスト』のセリフを喋っている。そういう形で「対置」ということがわかりやすく画面上の構図としてあった。そこにゲッコーパレードらしさを感じました。

山形ビエンナーレ2020 演劇映像『ファウスト』第一幕「夜」
山形ビエンナーレ2020 演劇映像『ファウスト』第一幕「夜」

蕨のファウスト、山形のファウスト

黒田  それぞれの幕の関連性は一見、強くありません。第一幕「夜」は山形市の中心街で撮影しました。『ファウスト』の要素としては物語を扱っています。ただし台詞はない。言葉を使わずに、ストーリーが感じられる映画的な映像です。
反対に第二幕では原作の台詞を引用しています。今回、ゲッコーパレードは山形ビエンナーレの中の「藻が湖伝説」というセクションに参加していて、第二幕はそのテーマの舞台である山形盆地全域で撮影した映像になります。山形盆地に眠る『ファウスト』の記憶を観客の中に再生するようなつもりで作りました。

山﨑  第二幕「窓」はダイジェスト版って言ったんだけど、『ファウスト』の話がわかるわけではない。なんとなくこういうことが起きてるんだなというのが断片的にわかるという意味で「ダイジェスト版」のような印象を受けました。

黒田  第三幕は山形ビエンナーレの展示会場が舞台です。今回の山形ビエンナーレはオンラインでの開催になったんですけど、観客が入れないだけで展示会場は実在している。そこで会場に行けない観客の代わりに山形ビエンナーレというお祭りを感じるキャラクターを送り込みました。『ファウスト』の原作に眠る時間/距離感もテーマです。
『ファウスト』にまつわる時間は、全部長いんです。戯曲自体が1万2千行もあって、執筆期間は60年。ファウストは悪魔と契約して魔女の秘薬で若返った老人です。それでいろんな世界を冒険してもう1回おじいさんになる。人間を超えた時間を体験してる。悪魔メフィストフェレスをはじめほかの化け物はもっと年齢不詳。スケールが大きい。
第三幕「足」の登場人物は、2019年9月に蕨の旧加藤家住宅でゲッコーパレードが上演した『ファウスト』に出てきた3人の女性です。ファウストが中世に出会った魔女が現代まで生きていたら、今は流れ流れて日本にいるかもみたいな設定の上演でした。彼女たちが、2020年には蕨から山形に遠征する。

山形ビエンナーレ2020 演劇映像『ファウスト』第三幕「足」
山形ビエンナーレ2020 演劇映像『ファウスト』第三幕「足」

山﨑  2019年9月の蕨版『ファウスト』では全体がワルプルギスの夜のイメージなのかなと思ったんだけど、それは山形版の第三幕にも引き継がれている?

黒田  去年の上演はワルプルギスの夜がテーマではありましたね。ワルプルギスの夜は魔女たちの祭です。ハロウィンみたいな、キリスト教からすると異教のお祭り。彼女たちはお祭りとか、儀式とかそういうものと関わりが深い存在。去年は彼女たちが、最後に儀式をするっていう上演だったんですよ。儀式をして、数百年前に出会ったファウストを呼び出す。蕨の土地のファウストを呼び出す。

山﨑  蕨の土地のファウストってなに?(笑)

黒田  蕨の土とか、蕨の木とか、そういうものを使ったまじないでファウストを呼び起こす。そうすると、ボディーは蕨の土なので、それはもう蕨のファウストなんじゃないかなって。『ファウスト』はドイツの伝説が元になってるので、蕨版があってもいいだろうと。肉じゃがってシチューを再現しようと思ってできたものらしいじゃないですか。それで僕は良いと思う。日本人の僕たちが『ファウスト』をやるっていうことは、そういうことですよ。
今年の上演は原作の第2部の「古典的ワルプルギスの夜」というシーンのイメージです。それはファウストがギリシャ神話の世界に出かけていくシーンなんです。ファウストは喜んでるんだけど、メフィストフェレスはドイツの方の悪魔だから、ギリシャに行くと勝手が違う。そういうイメージで、2019年の上演は彼女たち自身のお祭りでしたが、今度は山形ビエンナーレっていう他人のお祭りにちょっと行ってみた、という。

戯曲の棲む家no.9『ファウスト』2019, 旧加藤家住宅(撮影:瀬尾憲司)
戯曲の棲む家no.9『ファウスト』2019, 旧加藤家住宅(撮影:瀬尾憲司)

演劇における場所とワープ

山﨑  フィクションと土地の対置ということを言ったんだけど、でもよく考えるとけっこうな割合の観客にとって第一幕と第二幕の舞台というか撮影場所が山形だということは画面からは分からないんだよね。もちろん山形ビエンナーレに出品されている作品だから舞台は山形なのかなと思いはするんだけど、行ったことのない人でもここが山形だとわかる目印があるわけではない。そういう意味では第一幕と第二幕は匿名的な街と自然のイメージだということもできると思うんだけど。

黒田  そうですね。でも「山形」って、ただの言葉じゃないですか。僕はこの映りこんだ名もなき風景こそが山形だと思ってます。山形山形って言いすぎると、ドイツじゃない、蕨じゃない、という意味になっちゃう。だから作中には、山形という言葉は第三幕を除いて出てきません。屁理屈のように聞こえるかもしれないですけど、山形の光が映像に映り込んでいる。その土地でロケをしていて、そこでゲッコーパレードが感じたことが作品に反映されている。それでいいじゃないか、っていうスタンスです。

山﨑  これがドイツだって思われてもいい?

黒田  そう思ってもらえるのであれば、僕としては成功です。これが日本の山形でしかないと思われたら、かえって作品のスケールが小さくなっちゃったなと思う。

山﨑  第一幕は明らかに日本の街中の風景で、日本の街中から『ファウスト』の世界に入っていくみたいなイメージになってる。第二幕も冒頭に日本っぽい風景があるから、観客はそこで日本だと思って見るのかもしれないけど、ドイツの『ファウスト』の場所でロケハンしました!って言い張れる場面もあると思うんだよね。

黒田  ドイツなんじゃないかと思ってもらえるのは、僕としてはすごく嬉しいけど、一方で見る人が見れば、映り込んだ木や建物の感じでこれがドイツや九州じゃないということはわかると思う。たとえば山形のCMだったら映っている場所が山形だとわからないのは失敗だと思うんですけど、「間違えることができる」っていうのは作品だったら成功です。そもそもドイツの人が見たら、ドイツだとは思わないですよね。

山﨑  きっとドイツっぽくないなと思うよね。

黒田  「間違えることができる」のは僕らがその土地をよく知らないからなんです。でもたとえばこの映像を見た後に長野に行ったら『ファウスト』に映ってた風景とは違うって感じると思うんですよ。そのときに「ああ、あれが山形だったんだな」ってことを後追いで思ってもらいたい。それでいいし、むしろそうやって感覚的に捉えて初めて「山形を知った」ってことになるんじゃないかな。

山形ビエンナーレ2020 演劇映像『ファウスト』第二幕「窓」
山形ビエンナーレ2020 演劇映像『ファウスト』第二幕「窓」

山﨑  山形だと思って見てたのに、思い返してみたら「ドイツでもおかしくなくない?」と思うっていうのは演劇と逆だなと思って、それは面白い体験だった。演劇だと、舞台を「その場所」として見る。作品や作家にもよるけど、ドイツですよって体でやったらそこがドイツになるのが演劇じゃん。

黒田  そうですね。何もない舞台に俳優が出てきて「このミュンヘンの街は・・・」って言ったらもうそこはミュンヘンですもんね。

山﨑  でも、今回の『ファウスト』を見てる俺は、山形で『ファウスト』をやってるなと思って見てたんだよね。そこは演劇と逆転してる感触があって。演劇を見て後から「あれ?でもなんでドイツだと思わなかったんだろう」と思うことはあんまりない。

黒田  なるほど。それはたぶん劇場で演劇を上演した場合ですね。劇場は外界の影響を排除する場所。普段ゲッコーパレードが蕨の旧加藤家住宅でやってる演劇も、やっぱり蕨だとか誰の家だとかいう固有性は極力出さずにやっています。劇場には暗闇がある。この闇こそがワープ装置というか、1回暗転して闇が来て、また明るくなると別の場所に行けたりする。この映像作品も劇場で上演しているわけじゃないけど同じ。自然の匿名性を利用した野外劇でもあると思っています。だからそうやって別の場所と繋げて見ていただけてるのであれば。説明不足とは思わず、良かったと思う。

山﨑  でも観客としてはやっぱりたとえば蕨まで来て、そこにある家まで歩いていって見るわけで、そこに場所の固有性がある。ワープして別の場所に行くのはそのあとなんだよね。その土地の固有の文脈みたいなものは知らないとわからないけど、実際に歩いてきちゃえば知らない土地であってもそこに来ていることには変わりないから、そこはたとえば蕨以外のどこでもない。にもかかわらずそこが「違う場所」になってしまう、することができるのが演劇の面白いところであり、映像と演劇ということでいうと難しいところなのかもしれない。

作品情報

みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2020 山のかたち いのちの形
ゲッコーパレード 演劇映像 『ファウスト』

原作:J.W.ゲーテ
翻訳:手塚富雄(第二幕のみ)
演出:黒田瑞仁
撮影・編集:飯名尚人
出演:崎田ゆかり、河原舞、永山香月
衣装:YUMIKA MORI
コンセプト:石原葉

『現代山形考 藻が湖伝説』作品アーカイブページ
ゲッコーパレード『ファウスト』視聴可能
https://yamagatako.jp/mogaumi/08/geckoparade.html

山形ビエンナーレ2020 山のかたち いのちの形
https://biennale.tuad.ac.jp

ゲッコーパレード
https://geckoparade.com/

Written by
山﨑 健太
山﨑 健太
@yamakenta